教育雑感
拙著「よくわかる水環境と水質 第2版(オーム社,2024)」の「あとがき」では,以下のように書きました。
・・・大学教員として30年余が経過したこともあり,少し追加したい。著者は本書の第1章を下敷きとして大教室で一般教養の授業を担当しているが・・・学期の終わりに「あなたが大学で学ぶ意味は?」と問うている.そうすると予想どおり「専門知識を得るため」,「就職のため」,「資格のため」などの回答が多い。確かにその通りだが,しかし著者として期待するのは「自分の座標軸を持つ」だ.それには教養と想像力が必要と思うのだが,水環境に関しても口当たりのよい情報や流されやすいメッセージがそれなりにあるように思える・・・
「自分の座標軸を持つ」というのは,言うは易し行うは難しです。少し前に話題となった経済産業省若手プロジェクトの「不安な個人,立ちすくむ国家(文芸春秋,2017)」では,「自分で選択しているつもりが誰かに操作されている?」という章があったりします。
知らないうちに私たちの消費行動や意思決定は,(後で冷静に考えると)時代の流れの中でうまくコントロールされていたのかもしれません。
専門知識も重要ですが,俯瞰的な判断力につながる教養と創造力を持ちたいものです。